学ぶとは心に誠実を刻むこと。
教えるとはともに希望を語ること。
by.ルイ・アラゴン1897.10.3生【仏・小説家】
「学ぶ」ことを、嫌う人が多いのは事実です。「教える」ことを、好む人が多いのは事実です。
もし学ばずに教えている(語る)ばかりだと、その教え(語り)はいつも似たような内容となり、
魅力を感じなくなり、誰もが飽きてしまいます。
逆に、常に新しいことを教えてくれる人には、人は興味を持ち、離れることはありません。
それでも人は「学びたい」というわけではありません。
上目線での「教え」に対しては、人は拒絶反応を示し、傍から離れていくこともあります。
「学ぶ」とは何なのでしょう?ただ知識を得ることでしょうか?
自身が知識を得ても、誰の役にも立てません。
その知識をどのように活かすのか・・・を学ぶ必要があります。
その知識を分かりやすくどう伝えるのか・・・を学ぶ必要があります。
その知識をどのように理解するのか・・・を学ぶ必要があるのです。
「学ぶ」ことは、新鮮な生きた血を巡らせること、と考えています。
脳を活かすためです。心を生かすためです。
その最もよい「学び」の体験が、「教える」ことです。
「教える」ことは、学んだことを骨肉にしていきます。
知識を咀嚼し、編集し、出力することで、結果が明確に現れます。
相手が理解しているのか、自身が理解しているのか、です。
「学ぶ」と「教える」には、
相手がいることが前提であり、
そこに「誠実さ」と「希望」があるのであれば、
「学ぶ」と「教える」の循環は、血の巡りを良くし、
人はいつも元気であり続けるのではないでしょうか?
家庭教師のコーソー 札幌支店 アポイントメント部 主任 中畑